若い時、勉強不足が気になり、せめて調べられるようにと集めた本である。しっかりと読んだ本もあるが、大半は積みあがったままである。阪神大地震の時は本のなだれにあうかと思ったくらいだ。
調べる本と言えば、辞書である。色んな辞書、事典を集めたが歳と共に小さな文字を見るのがつらいので、最近は電子ブックを使っている。調べたい文字を打てば答えが出る。15×12cmぐらいの大きさで、フロッピーを変えるだけで英和、和英、広辞苑、漢和、古語、国語、知恵蔵と何でもござれと調べられる。
頭のすみに、確かに持っていると思う本だが題名が思い出せないために探しようが無い。半日かかって探したが、いろんな本に目移りして、肝心探そうとしていることが何だったのかを忘れてしまう始末である。
こんな時思わぬ貴重本が見つかることもある。時間が出来たら見ようと分かりやすい場所に置き換えをしたら、又どこかに行ってしまったように出てこない。
植物の本だけパソコンの近辺に置いたが見たい本はわずかで、殆ど見ない本ばかりが並ぶ。何だかおかしな気分になる。これだけの本の中味が頭の中にあれば、たいした人間になれたのではないかと思うが、現実には、空しいものだ。
食べ物の本は、分散されている。沢山あっても見ることはまれである。若い時に写した写真は見たくも無い。料理の作り方も今では出来ないものもある。料亭料理が多かったので家庭で作れないとあきらめている。自分の食事を作るのに参考書は幾らでもあるのに、何だかんだと言って見ていない。
書に関する本も沢山ある。若い時、展覧会会場で芳名録にサインをするのが恥ずかしいので、矢野正善の一字でも出ている本があれば買って来て練習していたこともある。
魚釣をしていた頃、東京の神保町の古本屋さんで、釣に関する古い本を一棚三十冊全部買ったことがある。と言えばすごいと思われるが、その当時釣の本は一冊150円から300円どまりで、運送賃の方が高くついた記憶がある。今はほこりをかぶって触りたくも無いが、中には今、貴重になっている本があればと、宝くじの気分でいる。
焼物の本は結構ある。本屋さんに奨められて買ったので良い本ばかりと思っていたら、どうでもよい本が沢山ある。折角良い本でも肝心の巻が抜けていたりする。
エッセイ、私小説、短編小説は、一番多くある。何時か読もうと余分に買ったものが、今だ開いていないと言うよりも、何があるのかも分からない。好きな作家の本は買いあさったのに、今はその人の名前が出てこない。二十年ですっかり忘れてしまった。
猫に小判である。
2000年3月記
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