初めて撮影して本に成った本の話

 1961年、今は故人になられた大和郡山の大久保恒次先生と葛西宗誠先生に連れられて、大阪中ノ島のクラブ関西に行き、そこの料理長である井上幸作先生を紹介された。
 その時、25歳の若輩だった私に、牛の尻尾のボイルした料理(名前を忘れた)を食べさせてくださった。もちろん初めて食べる物だった。この時、こんなうまい食べ物が世の中にあるんだと、びっくり仰天であった。この味覚は今だ忘れない。
 婦人画報社の仕事で井上幸作先生の料理で「洋食教本」をつくる話になった。
 大久保恒次先生がデレクターで、写真は、カラーページが故葛西宗誠先生の指導のもとに撮影をし、モノクロページは私が撮影した。文章は藤田英子先生であった。半年ぐらい通っての仕事であった。
 西洋料理は、「マヨネーズソースがちゃんと、でけへんかったら見込みなしや」と大阪弁でよくいっておられた。
 仕事がはかどらず、少し遅くなると、厨房の皆さんが食べる、まかない料理を、だしてくださった。この時の具の多いカレーライスがたまらなくうまかった。
 色々食べさせて頂いたのに、この2品の料理がわすれられないでいる。
 この頃は500W電球を照らしての撮影なので長い時間照らしていると料理が乾くのと、写している私が熱くてたまらなかった。よく火傷もしたものだ。
 故大久保恒次先生は、私に、「これからの世の中は、食べ物が盛んになるから、料理の写真を写しなさい。仕事をさがしてあげるから。」と言って下さった。
 以来、今まで何とか生き延びられたと感謝している。

       
                               2000年1月記 

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